気候危機対策へ「欲望」をどう使うか

 2023年に九州北部、山陰、北陸などを梅雨前線による集中豪雨が襲った一方、同じ時期では関東を中心に猛烈な暑さが続いた。世界各地では熱波と豪雨がところどころ繰り返し起こるのが当たり前になっている。現にこれを書いている時点で南ヨーロッパが熱波に襲われているとのことだ。
 このような状況を引き起こしているのが人間活動での温室効果ガス排出を主因とした気候変動であり、これが現在人間活動に影響をもたらす「気候危機」となっていることは言うまでもないだろう。気候危機対策は、特に日本人にとっては「我慢」「生活の質を下げる」というイメージが強くなっている。また多くの人にとって、気候対策の敵となっているキーワードとして、以下のものがあるのではないか。

「欲望」

 その典型的なイメージを表すものとして、Steve Cuttsの風刺動画「MAN」が挙げられる。私もこの動画は面白く感じ、共感している。
https://youtu.be/WfGMYdalClU

 このなれの果ての姿は以下のようになる。

(出典)
人間のエゴで自然破壊を続けると悲劇的な結末を迎えるという風刺動画 MAN by Steve Cutts 2015年7月7日https://www.shaveoffmind.com/steve-cutts-man/


 これだけをみて、「欲望=悪」と感じる人も多いだろう。しかし、私は、欲望を完全否定することはできないし、気候危機の解決に欲望をむしろ活かすことも大事と考えている。

欲望の定義
 そもそも、欲望は元来人間にとって大事な本能の1つのはずである。欲望があってこそ、人間はこれに向かって計画を立てて努力し、成長していくものだ。現在の人間の文明や科学技術の進化の根源にあるものはこの欲望にあるといっていい。
その欲望も人によって多様である。スポーツがうまくなりたい、美味しいものを食べたい、明日の試合で勝ちたい、子どもが健やかに成長してほしい…すべて欲望だ。自然と共生して暮らしたい、自給自足でのびのび暮らしたい、というのも、その人の価値観に見合った立派な欲望である。必ずしも自然を壊して自分のものにすることと欲望はイコールではない。

気候危機で奪われる欲望、その不公平さ
 気候危機が奪うものの1つがこうした「欲望」である。台風や大雨でイベントが中止になった、行きたかった観光地が破壊されて楽しめなくなった…これらは気候危機で欲望が壊される例である。京都では、2019年に、祇園祭のメインイベントである山鉾巡行が猛暑のために中止になったことも起きた。これから気になるのは、現在甲子園を目指して地方予選が行われている夏の高校野球である。気候変動によってできなくなった…ということがもし起こるようなら、地元のファンのみならず目標に向かって頑張る球児の欲望を壊すことになる。
 もう1つ大事な点は、こうした気候危機による欲望の壊され方は不公平なことだ。気候危機による影響の現れ方は不公平で、CO2排出量が先進国に比べずっと小さいはずの島国が海面上昇で沈む危機にあう、食糧価格が高騰し途上国の貧困層の食糧入手が困難になる、干ばつで女性や子どもが水汲みに駆り出され教育の機会や時間が奪われる…などある。要は社会的に脆弱とされる層への影響が大きいということだ。ここでは、欲望はあってもこれに基づく夢や目標を持つことができず、努力する機会が奪われ、さらに欲望もくじけてしまう…という悪循環が起こりえる。

大事なこと
 「皆が目標に向かって100年後も200年後もがんばることのできる社会をつくる」こう置き換えて気候危機対策を考えることだろう。これがあってこそ「産業革命前から1.5℃未満の上昇に抑制」「2030年までに排出量半減」「2050年までに排出量実質ゼロ」が意味を持つことになる。そのためには、それぞれが本質的に持つ欲望を可視化し、これを守るという目標に置き換えることが大切だ。「お子さん、さらにまだ見ぬ孫が甲子園に向かって頑張れる」「孫の代でも伝統の夏祭りがずっと続いている」「冬はずっとスキーができる」「サンゴのいるきれいな海をずっと楽しめる」「ずっと自然のもとでキャンプを楽しめる」「ずっとおいしい●●グルメが楽しめる」…それぞれあるはずだ。これを守るために何が必要か、というのがわかって、具体的な行動がしやすくなるだろう。
 もう1つ、人間の根源的な欲望は、ただお金を稼ぐことだけではない。ずっと元気で健康に暮らせることだろう。この前提条件として必要なのが、健康で持続可能な自然環境が保たれることだ。自然破壊が進んだ20世紀以降に、COVID-19など多くの感染症が人間と野生動物との接触拡大を通じて発生していることはこの事実の1つである。健康が保たれること、これは先進国、途上国問わず皆共通の願いだ。
 あとは、「自分さえよければ」でなく、ひとりひとりの欲望を尊重し、その目標に向けた頑張りをリスペクトすることだろう。「自分さえよければ」が1つのポイントである。このマインドセットのある欲望は、上述の風刺動画「MAN」に見られるようなゆがんだ欲望になってしまう。その最悪の形が戦争なのだろう。

追記
 参考になったのは、私が参加した、アムネスティによるオンラインイベント「スポーツと人権 交流会&勉強会:第3弾「スポーツと気候変動を考える」」である。
https://twitter.com/amnesty_or_jp/status/1676403806257713154

 ここで聞いた共感させられることは以下だった。
「数字だけでは一般の人の心は動かない。スポーツ、ごはん、子ども、映画、音楽…といった、みんながパッションを持てることと結びつけることが大事」
 実は、これはほとんど私が考えていたことそっくりだった。
 ゲストであるサーファーの武知実波さんが気候に関心を持つきっかけとなったのは、大会で大きなチャンスとなる波がきたとき、波に浮かんでいた青色のビニール袋が目に入ってチャンスを活かせず敗れたこと。その後開催地の海岸のごみを見て何とかせねばと思ったという。

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